『この人は、突然何を言ってるんだ?』と、思った方も多いと思います。
ですが、
タイトル通り。
私は聾者を外国人だと思って接しています。
その理由を話す前に、あなたに1つ質問をします。
Q:【障害者】と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?何を感じますか?
●障害があるから大変そう、可哀想。
●障害者だから何でも手伝ってあげなきゃ。
●彼は障害を持っているから、この仕事は大変だろうし頼むのは辞めようか…
様々な捉え方があるかと思います。
何を隠そう私もこのように思っていた一人です。
『障害を持っている人には、特別扱いをしてでも常にサポートしてあげなきゃフェアじゃない。』と。
常に気にかけ、常に手助け、負担を減らしてあげることが障害者への最善のサポートだと思っていました。
でも、実際は違っていた。
私は、国立障害者リハビリテーション学院での経験や手話サークル、コミュニティ交流会、友人との付き合い等、多くの聾者、難聴者にお会いしてきました。また自ら、盲者や車椅子生活の方、難病、精神疾患、色んな方とお話する機会を設けてきました。
彼らと関わりを重ねていく上で、私はあることに気付かされました。
“○○障害者”と一括りに総称されているが、先天的に障害を持つ人、あるいは、病気や怪我等で障害を持つ人、それぞれの人が“不自由”“困難”と感じる事柄は様々である。ということです。
逆にいえば、『障害を持っているから○○してあげよう』と、良かれと思った対応が、逆に障害者の自立心や尊厳、新しい事に取り組む楽しみを知るチャンスを奪うことにも成りかねないものだと、理解するようになりました。
“聾者は外国人”の理由…
聴覚障害者と一括りになっているが、
実際には【聾者】と【難聴者】と【中途失聴者】とでは、もちろん人それぞれ不自由と感じる瞬間も異なります。
●聾者…“言語獲得以前より重度の聴覚障害があり、音声言語の自然な獲得が困難であった者。特に、手話を母語とする者をさす”-大辞林 第三版
聾者は、“手話”という言語的マイノリティでもあります。音声に頼らなくとも、“手話”での会話や視覚情報等で、健常者と同じように自分の意思を伝達しあっています。
“音”を聴くための補聴器もありますが、手話や視覚情報のみでも不自由なく日常を楽しめる聾者も多くいます。また、口話に長ける聾者も多くいます。
そういった意味でも、
日本語を使わず“英語を話す外国人”と同じで、
私は【聾者を手話を話す外国人】との感覚で接しています。
“障害”をどう受け止めるかは、もちろん個人差があります。
私は、これからも聴覚障害者と携わる上で、彼らの社会生活を今以上に、さらに楽しい環境を提供していけるよう努めていく使命を果たしていこうと思います。
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